熊本とカリフォルニアを行き来しながら、お父様と老犬を看取った日々を綴られております。
ワンコとの別れが書かれているものはできるだけ読まないようにしている。
それなのにこの本を読んでしまった。
理由は、タイトル「犬心」という言葉と表紙と裏表紙のイラストである。
使い方はちょっと違うかもしれないが、私はまさの言い分を「まさ心」と呼んでいた。
ボールを離せない、道路は歩きたくないけれど公園には行きたい、ごはん入れの位置が違うと食べられない(神経質?)、そういった理屈ではない何かをそう呼んでいた。
なのでこのタイトルにはちょっとうるっとくる。
そして表紙、少し距離のある赤いボールとワンコ、裏表紙ではその赤いボールを
手前脚で押さえているワンコ、このイラストにやられましたよ。
咥えているのではなく、前脚の下にボールがあるというところがぐっときます。
あとがきで、このイラストが著者が看取ったタケなのだとか。
「しあわせそうなタケ像」とおっしゃっており、タケの犬心があふれたイラストになっているから私も惹かれたのかな、と。
老犬タケをみながら、お父様やお母様の介護に想いを馳せる様子は私には重い。
何故なら、ふだん真っ先に考えから抹殺しようとすることだから。
親と自分のそういう関係はできれば考えたくない。
そういう時がこなければいいとさえ思う不幸者なのです。
なので、ワンコのことだけにします。
「なぜ眠らせないのか」と友人が言ってきたのだそうだ。
その言葉に犬嫌いのはずの旦那さんは同調しなかったという。
苦痛を感じてはいない犬に、こっちの不便不都合で命を取り上げることなどできない、と。
それでも本当に最期だと思ったら、決断を下すと言い切れる人なのですよ、この方。
登場場面は少ないものの、このエッセイのあちこちに急に存在を感じる。
犬は嫌いだけれど、犬たちも含めて家族を見つめているのだと。
熊本で犬と寄り添って生きてきたお父様とは全く逆なのに、その気持ちの何と強いことか。
また著者は安楽死の決断が、海外は早過ぎて日本は遅すぎるとも。
どっちが良い悪いではなくて、確かに。