町田さんの本は小説なのかエッセイなのかの区別がつきにくい。
小説と思って読み始めてもそこには町田さんがいるようだし、エッセイだと言われても「そんなことあるかいっ!」の連続で元はあったとしても針小棒大と思われることが多いもの。
それがいけないというわけではなく、好きなのでいいのですが。
ただ、自分はエッセイ寄りのものを好んで読んでいるように思う。
本の厚みで選り分けているような気がしないでもないが。
で、「東京飄然」。
旅に出たくなった。なぜか。理由などない。風に誘われ花に誘われ、一壺を携えて飄然と歩いてみたくなったのだ。
と始まり、気儘にふらふらと出かけて街の匂いを嗅ぎ、風に触れ、何事もない風景が町田節で語られるのだと想像するが…。
みみっちい(笑)。
串カツの件が、カッコイイまでにみみっちい!
大阪でふらりと入った串カツ屋で、自分だけ串の数が一本少なかったことに抗議できない。
確かに、そこで「一本少ないですよっ」と言って訝しげに見られてから出された一本はおいしくないだろう。
なので泣き寝入る気持ちはわかる。
ただ、そこから引き摺る引き摺る(笑)。
何事にも「規定料金を払ったにもかかわらず一本少なくされて文句も言えずに引き下がった男」として周りから蔑まれているような被害妄想にとらわれ、とうとう東京でリベンジを決意する…ってどうよ(笑)。
しかも本数にこだわりすぎて、ただただ疲れて寂しくさえなっているという(笑)。
そしてこの一連のこだわりを飄然者としてどうか?と反省。
飄然者だからこそ、こだわれるようなそんな潔ささえ感じて私は大好きです。