一番好きな作家は?と問われれば、たぶん百閒先生と答えるだろう
うっとりするような小説、ユーモア溢れる随筆、紀行文、どれも好き。
へそ曲がりであるけれども、どこかしら正当性があり、かわいらしくさえ思う。
「君のくれるものは長持ちしない、漱石先生のお古のカバンは何年も使える」と言ったとか、
自宅そばまで来た人が、夜遅いからと寄らずに帰ったことを面白く思わず、タクシーでその人の家に先回りして「近くまで来て寄らないとは失礼だ」と注意する、
どのエピソードも愛らしくてたまらない。
最近読み返し始めた「内田百閒集成1」の「阿房列車」でいえば、
ヒマラヤ山系君が訪問先で雨に降られ、
帰りに傘を貸されたら後で返しに来なければならないよな~とか、
御主人のそばにいる人が駅まで来て傘を持ち帰ってくれるのかしら?
あ、でもこの人は自分の次のお客さんだ!、
などと逡巡している様子を語っているのに向けて
「貴君はもういい加減で、おいとましたらいいだろう」と何日も前のことに言えるのが大好き。
で、タイトルについてですが。
山系が車中で話し出した宿賃なぞなぞのこと。
三人で宿屋に泊って、払いが一人10円で30円、
仲居さんに10円ずつの30円を預けたが帳場が5円サービスしてくれた、
しかし仲居さんが2円ごまかして3円だけ返してよこした、
その3円を三人で分けたから、一人あたりの支払いは9円、
9円ずつ三人なので支払い総額は27円、
そこに仲居さんのごまかした2円をたすと29円、
最初にもたせたのは30円だったので1円足りない、
さて、この1円はどこへ?、というお話。
ちょっと考えてみたけれどわからなかった百閒先生は、そんなことよりも今回の旅で足の出た実際の会計の方が気になって、この話はこのまま。
以前読んだ時は、なにやら考えて納得したような気がするけれど、今回読んでみたらさっぱり見当がつかなくて困ってます。
どなたかトリックを教えていただけないでしょうか(笑)。