きっかけは一冊のガイドブック「パディントンベアと歩くロンドン」。
この本のせいで、パディントンブームが襲来しました。
パディントンというクマの存在は知っていたが、彼がペルーからやって来たことや、ロンドンでブラウン一家の家族になっていること等、その生い立ちは全く知らなかった。
ガイドブックのところどころに挿入されている本からのエピソードに興味を引かれ(株を買うって何なのさ?・笑)、本を読み始めたらこれが見事にツボ。
みんなに大切に愛され、パディントンも同じようにみんなを愛している姿が愛おしい。
失敗も何もかも、全部がパディントンのためと受け止められるなんてステキじゃないですか。
一方のパディントンも、愛されているのがわかるからこそ安心して失敗できるのですよ。
「あの人たちなら大丈夫」と踏んでいるずるい考えではなく、
肌で感じる本能とでもいうのでしょうか。
ペルーのルーシーおばさんのお誕生会に送り出すパーティーの話なんて、大好きだからこそパディントンの選んだことを大切にしてあげたいという気持ちにうっすら涙ぐんじゃいましたよ。
10巻目の最後もそう。
お話は、たいていパディントンが何かに興味を示し、楽しくやっているがそのうちに収拾つかなくなり大騒動に、しかし結果オーライでみんなニコニコ、という展開。
それなのにこんなに次から次へと楽しませてくれるなんて、一体どうなってるんだ?(笑)
細かいことを言えば、家族でフランスに行ったりするよりも、身近なふだんのことでの大騒動の方がより楽しい。
なんて愉快な本だったのだろう。
部屋がもらえる!とわくわくしちゃって、荷物をトランクに詰めて何週間も待ち、とうとう痺れを切らして自分で改装初めてとんでもないことになっても
「目を細めて見れば大丈夫な気がしました」とかすごすぎるよ。
ハチャメチャな一方で、町に来た当初に町の人たちがプレゼントしてくれた車輪付きの買い物かごをメンテナンスして大切に使っていることが終盤に伝えられたりしてほろりとさせられるのも曲者だ。
英語の簡単な本を読み始めて数ヶ月。
具体的な目標はなかったけれど、「パディントンを原書で読む」という目標ができました!
というのは表向きの感想(本心には違いないけど)。
ここからは海外ドラマにつっこむ楽しみを覚えてしまった、大人の汚れた心の感想(笑)。
ブラウンさん夫妻も家政婦のバードさんもどうかしてるよね。
口では「あの子、また何かをやらかさないといいのだけれど…」とか言いながら、実際は何かをやらかしてくれることを待っているようにしか思えない。
手品セットやら実験セットやらをプレゼントしてますからね。
何かが起きるに決まってるじゃないですか。
それでやっぱり何かが起きて、お隣さんのカリーさんがその犠牲になるのを見て笑いをかみ殺しているという、悪魔です(笑)。
カリーさんもカリーさんで、何回痛い目に遭っても「おい、クマ公!」なんて言いながら木槌持たせたり、やっぱり何かを待っているとしか思えない。
さらにロンドンの人たちもどうかしている。
「この家には何年も学校に行っていない児童がいる」って(笑)。
委員が家庭訪問して本人に会えば「その児童はクマでした」で解決するのに、家庭訪問しても「会わせろ」って言わないし。
ブラウンさんの奥さんとバードさんが会わせようとしないのは何かを期待しているからだとわかりますが(笑)。
白衣を着ているから医者に間違われ、夜会服でレストランに入れば覆面料理評論家だと思われるなんてどうしたってへんてこりん。
誰もそこを指摘しないのか?なんてことを言ったらお話にならないことはわかってますよ。
でも、その一方でパディントンに「このクマっ!」とキツイことを言う人もいる。
ブラウンさんに至っては、みんなでクリスマスの飾りつけを見るために車で繰り出し、興奮するパディントンに
「クマの湯気で曇って何も見えない!」ですよ。
みんなのパディントンを見る目の一貫性のなさに頭がクラクラすること必至(笑)。
読んでいると何かキケンなものが脳から出てくるような気がする。