例の、読み返している内田百閒集成の3巻め「冥途」。
読み始める前に気まぐれを起こして、巻末の「芥川龍之介による同時代評」を読んだ。
「冥途」を読んだ時の絶賛(大正11年)と、その数年後に書かれた「内田百閒氏」と題された今の百閒先生を思っての文章(昭和2年)である。
「内田百閒氏」は、名著「冥途」が出版されるも直後の震災で多くの人に読んでもらえなかったことを嘆き、数年経ったとはいえもう一度プッシュしたいと思うもなかなかうまくいかず…ということが書かれている。
その中の一文、百閒先生がホテル暮らしであると述べた後の「誰か同氏を訪うて作品を乞うものなき乎」にこみあげてくるものをどうにもできなかった。
今だからそう感じるのかも知れないが(実際、以前も読んだはずだもの)、「人を、友を想うとは」と、いたく染み入る。
これが発表されたのは昭和2年8月4日、芥川龍之介の死後。
芥川の死についてはもしかしたら…?という説もあるので、そこにセンチメンタルを重ねるのは自制したい。
でも友を想うその純粋な心に今の私は撃たれた。
数作しか読んでいないことを申し訳なくさえ思った。
7月だというのに激寒な日に、こんなことを感じましたとさ。
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