他のエッセイでもチラリと出てきた、美人猫トトちゃんを見つめ続ける角田さんのエッセイ。
初めて家庭に迎える生き物がトトちゃんであるとのことで、その興奮と不安に読んでいるこっちもにんまりしてきます。
最初の方はトトという猫のことが大半ですが、後になるにつれ、家に動物を迎えるということといった趣も強くなってきます。
「トトが犬でも鳥でも好きだったろう」、一緒に生活して、子どもではないけれども、何ものにもかえ難い大切な存在だ、との言葉ですよ。
この前、障害を持って生まれたお姉さんを亡くした妹さんの投書で、「たとえ障害があっても〇〇ならもう一度産まれてきてほしい」とお母様が語られたというのを読みました。
人間と動物は同列にすることはできないけれど、慈しむとはそのようなことなのだと思えてきます、自分は子どもをもつ経験はできませんでしたけど。
BC(Before Cat)時代、AC(After Cat)時代というのもいい表現です。
私には、BDとADになるわけですが。
確かに、私もAD以降、百閒先生の「ノラや」は読んでません。
何故なら、読んだらどうなるかがわかるからです。
でも、まさのことを本当の意味で乗り越えるために、いつかは読み返したいと思いますが。
いや、そんなたいそうなことでもないのですけどね。
そういったことが心の真ん中に、ほわっと灯るような、そんな本でした。
当然、トトちゃんとの愉快な日々も、にゅるーっと出てくるとか、表現がステキです。
猫のくせに、テーブルから落ちるなよっ!とか、トトちゃんにつっこみたいこともたくさんあります(笑)。
ただ、私は犬派だけれども、他所の犬の写真も大好きです、と宣言しておきますっ!
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